メシア 意味

世界144000人の平和の祈りの活動を始めて、三年目、メシアメジャーさんとのご縁を頂いてまる20年がやってくる。イスラエルツアーの夏至の日20年のその日となる… キリスト教/ イスラム教/ユダヤ教 彼女いわく「ちょっと変態」。. 人間イエスに迫る連載の8回目。今回は「メシア」の多義性とイエスの自己認識について取り上げます。1世紀のユダヤ人が「メシア」に込めた4つの意味とは?そしてイエスはなぜ「メシア」の呼称を嫌い、代わりに「人の子」と称したのか?そこにはイエスの真の目的が隠されていました。 ©Copyright2020 ネオ仏法 – Neo Buddhism – .All Rights Reserved. メシア 「油を注がれた者」つまり選ばれた者を意味するヘブライ語に由来する言葉。 これに相当する「キリスト」は,同じ意味のギリシャ語に由来する。 (Messiah) 「塗る」,それゆえに「油そそぐ」を意味するヘブライ語の語根動詞マーシャハに由来。(出 29:2, 7)メシア(マーシーアハ)とは,「油そそがれた」あるいは「油そそがれた者」を意味します。 これに相当するギリシャ語はクリストス,つまりキリストです。 このあたりに迫っていきましょう。 「メシア」とは何か? - ユダヤ教とイスラム教がイエス・キリストをメシアと認めない理由, 無料Eブック特典【潜在意識(守護霊)と交流して、 インスピレーションを受ける方法】, ふしぎでないキリスト教-⑥全能の神が創った世界になぜ悪があるのか?(神義論)(b), 「メシア」とは何か? – ユダヤ教とイスラム教がイエス・キリストをメシアと認めない理由, ふしぎでないキリスト教-⑤全能の神が創った世界になぜ悪があるのか?(神義論)(a), その後、ユダヤ人は、プトレマイオス朝エジプト/セレウコス朝シリア→古代ローマ帝国の版図で暮らす, New post: 「般若心経」の悟りを超えて –⑯無無明亦無無明尽 https://t.co/6UvmFRxuaX. ラーメンも大好き。 今回は、個人の幸福とか悟りについてのお話ではなく、若干スケールアップしたお話になります。 「イスラム教とか関係ないやー」と思われるかもしれませんが、 やはり同じく地球の磁場に住んでいる者として、日本や日本に住んでいる私たちの未来にも関わり合いのあることなんです。 「塗る」,それゆえに「油そそぐ」を意味するヘブライ語の語根動詞マーシャハに由来。(出 29:2,7)メシア(マーシーアハ)とは,「油そそがれた」あるいは「油そそがれた者」を意味します。これに相当するギリシャ語はクリストス,つまりキリストです。―マタ 2:4,脚注。, ヘブライ語聖書では,マーシーアハという動詞的形容詞が多くの男子に関して用いられています。ダビデは油で油そそがれて正式に王として任命されたので,「油そそがれた者」,つまり字義的には「メシア」と言われています。(サム二 19:21; 22:51; 23:1; 詩 18:50)サウルやソロモンを含む他の王たちも,「油そそがれた者」,「エホバの油そそがれた者」と呼ばれています。(サム一 2:10,35; 12:3,5; 24:6,10; サム二 1:14,16; 代二 6:42; 哀 4:20)この語は大祭司にも用いられています。(レビ 4:3,5,16; 6:22)アブラハム,イサク,ヤコブなどの族長たちは,エホバの「油そそがれた者たち」と呼ばれています。(代一 16:16,22,脚注)ペルシャの王キュロスは,特定の割り当てのために神から任命されたという意味で,「油そそがれた者」と呼ばれています。―イザ 45:1。「油そそがれる,油そそぎ」を参照。, クリスチャン・ギリシャ語聖書では,メッシアスという音訳した形がギリシャ語本文のヨハネ 1章41節に出ており,そこには,「訳せば,キリストという意味である」との説明が付されています。(ヨハ 4:25も参照。)クリストスという語は時に,メシアつまり油そそがれた者,あるいはそのような者であると主張する者に関して,単独で用いられることがあります。(マタ 2:4; 22:42; マル 13:21)しかし,クリストスという語が用いられている箇所の大部分には,「イエス・キリスト」や「キリスト・イエス」といった表現のように,イエスという固有名が伴っています。イエスがメシアであることを示すためです。この語は単独で使われることもありますが,「キリストがわたしたちのために死んでくださった」という言い方のように,イエスがキリストであるという理解のもとに,明確にイエスを指す語として用いられます。―ロマ 5:8; ヨハ 17:3; コリ一 1:1,2; 16:24。「キリスト」を参照。, ヘブライ語聖書におけるメシア ダニエル 9章25,26節にあるマーシーアハという語は,来たるべきメシアのみを指す語として用いられています。(「七十週」を参照。)しかし,ヘブライ語聖書の他の聖句の中にも,来たるべきこの方だけを指し示しているとは言えないまでも,やはりその方のことを指し示しているものが多くあります。例えば,詩編 2編2節は,フィリスティア人の王が油そそがれた王ダビデを王座から降ろそうとした時に最初の適用を見たようです。しかし,予告されたメシアに二度目の適用がなされたことは,この聖句がイエス・キリストに適用されている使徒 4章25-27節によって確証されます。さらに,「油そそがれた」と呼ばれた男子の多くも,イエス・キリストとイエスが行なうことになっていた業を様々な点で予示し,表わしていました。ダビデ,イスラエルの大祭司,モーセ(ヘブ 11:23-26では「キリスト」と呼ばれている)などがそうした人たちの中に含まれています。, 「メシア」という語を用いていない預言 ユダヤ人は,ヘブライ語聖書中にあって「メシア」という語を明確には用いていない他の多くの聖句も,その方に適用される預言として理解していました。アルフレッド・エダーシェイムは,「メシアに関連した箇所として古代の会堂が言及した」456の章句を探し出しました。また,ラビの記した最も古い書物の中には,そのような適用の仕方を支持する箇所が558ありました。(「メシア・イエスの [961ページに続く] [944ページからの続き] 生涯と時代」,1906年,第1巻,163ページ; 第2巻,710-737ページ)一例として,創世記 49章10節は,支配者の笏がユダの部族に属すること,その家系を通してシロが来ることを預言しました。タルグム・オンケロス(バビロニア・タルグム),エルサレム・タルグム,ミドラシュなどはみな,「シロ」という表現がメシアに当てはまることを認めています。, ヘブライ語聖書には,メシアの背景,登場する時期,その活動,他の人からどのように扱われるか,および神の取り決めにおける地位などに関する詳細を示す多くの預言が含まれています。メシアに関する様々なしるしは,そのように結び合わされて一つの壮大な絵のようになり,真の崇拝者たちがメシアを見分けるのに役立ちました。これによって,エホバから遣わされた真の指導者としてのメシアを信じるための土台が据えられることになります。ユダヤ人は油そそがれた者に関連するすべての預言を前もって認めていたわけではありませんが,福音書中の証拠からすると,メシアが登場した時にメシアを認めるための十分な知識を持っていました。, 西暦1世紀における理解 入手できる歴史的な情報は,西暦1世紀のユダヤ人の間で,メシアに関する理解がどの程度浸透していたかという問題に関する全般的な状況を明らかにしています。その情報はおもに福音書から得ることができます。, 王であり,ダビデの子である ダビデの家系の王がメシアとなることは,ユダヤ人の間で一般に認められていました。占星術者が「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」について尋ねた時,ヘロデ大王は彼らが「キリスト」について尋ねていることを知っていました。(マタ 2:2-4)イエスは,キリストつまりメシアとなるのはだれの子孫かとパリサイ人に問いかけています。それらの宗教指導者たちはイエスを信じていませんでしたが,メシアがダビデの子であることは知っていました。―マタ 22:41-45。, ベツレヘムで生まれる ミカ 5章2,4節は,『イスラエルにおける支配者』となり,「地の果てに至るまで大いなる者」となる方がベツレヘムから出ることを示唆していました。この聖句はメシアを指すものと理解されていました。ヘロデ大王が祭司長と書士たちに,メシアはどこで誕生するかと尋ねた時,彼らは「ユダヤのベツレヘムです」と答え,ミカ 5章2節を引用しました。(マタ 2:3-6)また,一般の人々の中にもそのことを知っている人たちがいました。―ヨハ 7:41,42。, 多くのしるしを行なう預言者 神はモーセを通して,偉大な預言者の到来を予告しておられました。(申 18:18)イエスの時代,ユダヤ人はこの方を待ち設けていました。(ヨハ 6:14)使徒ペテロは使徒 3章22,23節でモーセの言葉を用いましたが,その用い方に示唆されているように,ペテロは宗教上の反対者たちもその言葉を事実上メシアに関連したものとして受け入れることを知っていました。このことは,申命記 18章18節の理解が広く浸透していたことを裏付けています。井戸の傍らにいたサマリア人の女性も,メシアは預言者であると考えていました。(ヨハ 4:19,25,29)民はメシアがしるしを行なうことを期待しました。―ヨハ 7:31。, 信じていた事柄における,ある程度の多様性 来たるべきメシアに関する知識がユダヤ人の間に浸透していたとはいえ,すべての人がその方について同じ知識や理解を得ていたわけではありません。例えば,多くの人はメシアがベツレヘムから出ることを知っていましたが,そのことを知らない人もいました。(マタ 2:3-6; ヨハ 7:27)かの預言者はキリストとは別の者だと考えていた人もいました。(ヨハ 1:20,21; 7:40,41)イエスの弟子たちでさえ,メシアに関する特定の預言は理解していませんでした。特に,メシアが退けられ,苦しみ,死んで復活することを扱った預言については,それが当てはまりました。(イザ 53:3,5,12; 詩 16:10; マタ 16:21-23; 17:22,23; ルカ 24:21; ヨハ 12:34; 20:9)それでも,いったんそれらの事柄が生じ,預言に関する説明が行なわれた後は,弟子たちも,まだ弟子になっていなかった人々も,ヘブライ語聖書中のそれらの聖句が預言的な性質のものであることを理解するようになりました。(ルカ 24:45,46; 使徒 2:5,27,28,31,36,37; 8:30-35)大半のユダヤ人は,メシアが苦しみを受けて死ななければならないことを理解していなかったので,初期のクリスチャンはユダヤ人に宣べ伝える際,その点を強調しました。―使徒 3:18; 17:1-3; 26:21-23。, 誤った期待 ルカの記述に示されているように,多くのユダヤ人はイエスが地上におられたその時代にメシアが現われることを切望していました。シメオンと他のユダヤ人は,みどりごイエスが神殿に連れて来られた時,「イスラエルの慰め」と「エルサレムの救出」を「待って」いました。(ルカ 2:25,38)バプテスマを施す人ヨハネの宣教期間中,民はキリストつまりメシアを「待ち設けて」いました。(ルカ 3:15)しかし多くの人は,メシアが自分たちの以前からの考え方にかなう人物であることを期待していました。ヘブライ語聖書の預言は,メシアが二つの異なった役割を担って来ることを示していました。一つは,『謙遜で,ろばに乗っている』方であり,もう一つは,「天の雲と共に」来て反対者たちを滅ぼし尽くし,すべての支配をご自分に服させる方です。(ゼカ 9:9; ダニ 7:13)ユダヤ人は,メシアが登場するこれら二つの場面が時間的にかなり隔たっていて,それらの預言がそれぞれ別個の場面に関係していることを理解できませんでした。, ユダヤ人の資料は,当時の民がエルサレムの救出を待ち設けていたと述べるルカ 2章38節と調和しています。ユダヤ百科事典はこう述べています。「彼らはダビデの家の,約束された救出者を慕い求めていた。その救出者は,憎まれていた外国人強奪者のくびきから彼らを自由にし,不敬虔なローマの支配を終わらせ,ご自身の平和な統治を確立するはずであった」。(1976年,第8巻,508ページ)彼らはその人物を地上の王にならせようとしました。(ヨハ 6:15)その人物が彼らの期待を実現しようとしなかった時,彼らはメシアを退けました。, メシアが地上の王になることを期待する傾向は,バプテスマを施す人ヨハネやその弟子たちにもあったようです。ヨハネはイエスが聖霊で油そそがれるのを見,イエスが神に是認される声を聞いたので,イエスがメシアであり神の子であることを知っていました。ヨハネに信仰が欠けていたのではありません。(マタ 11:11)ですから,「わたしたちはほかの方を待つべきでしょうか」というヨハネの質問は,『わたしたちはユダヤ人の望みすべてを成就する別の方を待つべきでしょうか』という意味だったのかもしれません。キリストはそれに答え,自分が行なっていた業(ヘブライ語聖書で予告されていた事柄)を指摘し,「それで,わたしにつまずかなかった人は幸いです」と結ばれました。この答えは信仰と識別力の必要性を示すと同時に,イエスが神の約束を果たす者であることをヨハネに保証して,ヨハネに満足と慰めを与えたことでしょう。(マタ 11:3; ルカ 7:18-23)またイエスの昇天の前に弟子たちは,イエスがその時にイスラエルを異邦人の支配から救い出して,地上に王国を設立する(ダビデの家系の統治を回復させる)という見方をしていました。―ルカ 24:21; 使徒 1:6。, 偽メシア ユダヤ人はイエスの死後,イエスの予告通り多くの偽メシアに追随しました。(マタ 24:5)「ヨセフスによると,1世紀当時,神殿が滅びる[西暦70年]より前の時期に,ローマ人のくびきからの解放を約束する幾人ものメシアが起こり,進んで従う追随者たちを得たようである」。(ユダヤ百科事典,第10巻,251ページ)その後西暦132年には,最も有名な偽メシアの一人であるバル・コクバ(バル・コジバ)がメシアなる王として歓呼して迎え入れられました。ローマの兵士はバル・コクバの率いた反乱を鎮圧するに当たり,幾万ものユダヤ人を殺害しました。そのような偽メシアは,多くのユダヤ人の主要な関心が政治上のメシアにあったことを例証していますが,彼らが単にメシアの治める時代や国民にではなく,個人的なメシアに期待をかけていたことも示しています。そのように期待するのは正しいことでした。バル・コクバはダビデの子孫であったと信じる人々がいますが,この偽メシアがそのような立場にあったなら,自分をメシアであるとするその主張は一層強力になったでしょう。とはいえ,系図の記録は西暦70年に処分されたと考えられるので,その後にメシアの立場にあることを主張する人々は,自分がダビデの家系に属する証拠を確立できませんでした。(ですから,メシアがダビデの相続人としての自分の主張を証明するには,イエスのように,西暦70年以前に現われなければなりませんでした。このことは,メシアが地上に現われることを今も期待している人たちが間違っていることを示しています。)そのように後代にメシアであると偽って主張した人々としては,クレタとパレスチナの間の海を分けると主張したクレタのモーセ,スペインの大勢のユダヤ人を惑わしたセレヌスがいます。ユダヤ百科事典は西暦132年から西暦1744年までの間に出た偽メシアを28人挙げています。―第10巻,252-255ページ。, イエスはメシアとして受け入れられた 福音書に見られる歴史的な証拠は,イエスが本当にメシアであったことを証明しています。1世紀に証人たちに問い尋ね,証拠を吟味する立場にあった人々は,その歴史的情報を信頼に値するものとして受け入れました。彼らはその正確さを強く確信していたため,その確証された情報を基盤とする信仰のゆえに迫害に耐え,死ぬことをいといませんでした。福音書の歴史的な記録によると,イエスがキリストつまりメシアであることを,様々な人々が公に認めていました。(マタ 16:16; ヨハ 1:41,45,49; 11:27)イエスは彼らが間違っているとは言われず,時には自分がキリストであることを認められました。(マタ 16:17; ヨハ 4:25,26)また,ご自分がメシアであることをはっきり述べようとされなかったこともあれば,ご自分がメシアであることを公にしないよう他の人に指示したこともありました。(マル 8:29,30; 9:9; ヨハ 10:24,25)イエスは,人々がご自分の話を聞いたりその業を見たりすることのできるところにおられましたが,そのことから,イエスは人々がその証拠を確かな土台として信じるよう望んでおられたことが分かります。そのようにすれば彼らの信仰は,ヘブライ語聖書の成就を自分自身で目撃したという事実の上に築かれることになりました。(ヨハ 5:36; 10:24,25。ヨハ 4:41,42と比較。)ヘブライ語聖書は,イエスが実際にメシアであることを人々が知り,信じることができるよう,メシアが後に行なう事柄に関する豊富な情報を提供しました。今はそのヘブライ語聖書に加えて,イエスがどんな方で何を行なわれたかを示す福音書の記録が備えられています。―ヨハ 20:31。「イエス・キリスト」を参照, マタ 1:1,6-16; 9:27; 使徒 13:22,23; ロマ 1:3; 15:8,12, マタ 3:1-3; 11:10-14; 17:10-13; ルカ 1:17,76; 3:3-6; 7:27; ヨハ 1:20-23; 3:25-28; 使徒 13:24; 19:4, 子ろばに乗ってエルサレムに入城する。王として,またエホバのみ名によって来る者として歓呼して迎えられる, マタ 21:1-9; マル 11:7-11; ルカ 19:28-38; ヨハ 12:12-15, マタ 27:1,2; マル 15:1,15; ルカ 23:10-12; 使徒 4:25-28, マタ 26:57-68; 27:1,2,11-26; ヨハ 18:12-14,19-24,28-40; 19:1-16, マタ 27:35; マル 15:24,25; ルカ 23:33; ヨハ 19:18,23; 20:25,27, 罪を除き去るために,また神のみ前における義なる立場への道を開くために,犠牲の死を遂げる, マタ 20:28; ヨハ 1:29; ロマ 3:24; 4:25; コリ一 15:3; ヘブ 9:12-15; ペテ一 2:24; ヨハ一 2:2, マタ 12:39,40; 16:21; 17:23; 27:64; 28:1-7; 使徒 10:40; コリ一 15:3-8, エホバは霊によって生み出すことと,復活とにより,イエスが神のみ子であることを宣言される, マタ 3:16,17; マル 1:9-11; ルカ 3:21,22; 使徒 13:33; ロマ 1:4; ヘブ 1:5; 5:5. スポンサーリンク これら4つのイメージがごちゃまぜになって、しかもその人その人によってどれかのイメージが先行しつつ、とにもかくにも「メシア」というひとつのぼんやりとした人物像を、当時のユダヤ人たちは共有していたのです。, この「人の子」という自称に、イエスが自分の使命をどう考えていたのか、そのヒントが隠されています。. 我はメシア」 という具合に、オチに使う表現です。 また、少数ながら、最初から 「我はメシアなり」 などと使い、その後に特に意味のないことをだらだらと記述するような使い方も見掛けます。 どちらの使い方も、この言葉自体に意味はありません。 高田, 今回は、個人の幸福とか悟りについてのお話ではなく、若干スケールアップしたお話になります。, やはり同じく地球の磁場に住んでいる者として、日本や日本に住んでいる私たちの未来にも関わり合いのあることなんです。, ネオ仏法では、「個人の悟り・認識力の向上」ということの他に、「地球レベルでのスピリチュアル・思想・宗教の関係性を明かし、その対立する根拠を崩していきたい」という願いがあります。, こうしたことは多くの人の念が集まることによって成就しやすくなりますので、まずは、「なぜこうした対立があるのか」を知ることによって、, 「対立をなくそう」という集合想念に変えていくことができれば、世界への貢献の一端になるのではないか?と思うんですね。, 日本人は、概してあまり中東圏には関心がありませんが、世界の紛争地図を見ると、イスラム教VSキリスト教の構図がかなり大きい、というのは、テロ事件などを概観してもなんとなくお分かりかと思います。, このイスラム教VSキリスト教の構図がいかにして出来上がっているのか?ということについては、十字軍以来の因縁もあったりして、いくつかの論点がありますが、今回は、「メシアとは何か?」とう視点から書いてみますね。, キリスト教は、旧約聖書を文字どおり、「聖書」としていますので、ユダヤ教を母体に成立した宗教です。, また、イスラム教も、「ムハンマドが最後にして最大の預言者」となっていますので、流れとしては、ユダヤ教を母体にしているわけです。, *ちなみに、キリスト教はイスラム教をまったく認めていないですが、イスラム教の方はイエスを「預言者の一人」として認めています。, ユダヤ民族の歴史を(世界史の復習になりますが)ざっくり振り返ってみると、下記のようになります。, つまり、サウル→ダビデ→ソロモンのイスラエル王国(統一イスラエル王国)のところです。, サウルが王になった時に、「頭に油を注ぐ」という儀式が行われまして(「サムエル記」)、ここで、サウルはイスラエルの初代の王とされたわけです。, このですね、「頭に油を注がれた者」というのが、ヘブライ語で「メシア」であって、後世、ギリシャ語では「クリストス」と訳されていきます。, そして、この「クリストス」が各国語でいろいろに変形して、日本語では「キリスト」になっているわけです。, 「メシア」というのはユダヤ的文脈から言うならば、「頭に油を注がれた者」=「イスラエル王国の王」ということになり、, イスラエル民族を政治的・軍事的に指導し、かつ、実績を上げられる者。という理解になっているんです。それがまた、すなわち、神の子でもあると。, この文脈で考えてみて、初めて、「なぜ、ユダヤ教やイスラム教はイエスをメシアと認めないのか?」という理由の一端が分かります。, つまり、民衆はイエスに「イスラエルの王」になって欲しい、そして、ユダヤ民族を再び独立まで導いて欲しい(まさしく「メシア」)という希望があったわけですが、, イエスは政治的指導者にはなれず(ならず)、心の王国としての神の国の説法ばかりをしていたわけです。, これに対する失望が少なからずあったということですね。一向にメシアの要件を満たしてくれない、という。, 「ユダの裏切り」も、「先生が簡単に十字架にかかるわけがない。メシアであるならば、何らかの奇跡が起こるはずだ」という”試し”の気持ちがあったのだろうと思います。, 一方、イスラム教の立場から言えば、イスラム教の開祖であるムハンマドは、一時は迫害から撤退(ヒジュラ)しましたが、最終的には、メッカを占領して、”聖戦”をやり遂げることができたわけです。, つまり、この世の政治・軍事においても成功したということで、「ムハンマドこそメシアにふさわしい。イエスも預言者の一人として認めるが、ムハンマドが最後にして最大の預言者である」という結論に至るわけです。, もちろん、ユダヤ教 – キリスト教 – イスラム教 の関係の複雑さはこれ以外にも色々な要因があるわけですが、今回のトピックスでその一端を明かすことができたのではないかと思います。, 私たちは地上に肉体を持って生きている部分だけではなく、潜在意識に自らのグループソウルのメンバーがいます。 それを古来より、”守護霊”と呼んでいます。, この無料プレゼントを読むことによって、潜在意識にアクセスして、守護霊からのインスピレーションを受け取る方法を知ることができます。完全無料ですので、ぜひこの機会に手に入れてくださいね。, このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください。. (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); 3回目の記事でも書いたように、「メシア」とはもともと「油を注がれた者」を意味します。, そんなオイルを頭から注がれるというのは、古代イスラエルにおいて、神から祝福された証でした。, だから古代イスラエルでは、油を注がれた者とは、ダヴィデ・ソロモンをはじめとするユダヤ人の王を指していたのです。, とくにユダヤ人が他民族に支配される歴史が長くなるとともに(このあたりの歴史は2回目の記事を参照)、理想的な王がふたたび現れて栄光をとりもどしてくれることを、ユダヤ人たちは待望するようになります。, そしてこの王はダヴィデの子孫から出てくると、長い年月をかけて信じられるようになりました。, だから、イエスを「メシア」と信じる人たちは、彼を「ダヴィデの子孫」だとしたのです。, 以上のように、「イエスはメシアだ」との言葉には、イエスがユダヤ国家の正統なる王位継承者だという意味がありました。, だって、6回目の記事でみたように、ヤコブ・ヨハネ兄弟は「先生が栄光を受けるときにはわたしたちを重用してくれ」と頼んでますから。, また、2回目の記事でみたように、12使徒という数字がそのままユダヤ支族と同数ってことは、「おれたち、先生が王になったらそれぞれの支族の族長になれるぜ、うひょー」って期待したでしょうから。, またおそらく、ペテロの「あなたはメシアです」という返答も、「あなたはユダヤの王です」って意味が多分にこめられていたはずです。, 12使徒がイエスに付き従ったのは、やがてイエスが王になることを期待して、って部分もかなりあったでしょう。, じゃなきゃ、イエスが捕まってみじめに処刑されるとき、クモの子を散らすように逃げたりしないって。, 「油を塗られた者」→「王」→「理想的な王」→「ダヴィデの血をひく正統なる王位継承者」と変化してきた「メシア」という言葉に、いつどうしてこんな意味合いが加わるようになったのかはわかりません。, とにかく、イエスの活躍した1世紀頃までに、「メシア」には預言者という意味も加わるようになっていました。, そして、この意味で過去最大の「メシア」と人々に認められてきたのが、エリヤという預言者でした。, ヘブライ語聖書によれば、エリヤはヤハウェのみが神だと主張し、当時パレスチナに浸透していたバアル神信仰を批判しました。, そしてバアル信仰の預言者たち450人と奇跡対決をおこない、バアルの預言者たちがいくら祈っても火がつかなかったのに、エリヤがヤハウェに祈るとたちどころに天から火が落ちて祭壇の牛が焼けたそうです。, 「崇高なるバアル(バアル=ゼブル)」をユダヤ人たちがもじって「蠅のバアル(バアル=ゼブブ)」と嘲笑ったことに由来します。, またエリヤは最後、みずからの後継者の目の前で、つむじ風にのって天に昇っていったそうです。, こうしたエリヤの伝承が後世に語り継がれると、後世の人々は「エリヤこそメシアである、そしていつかエリヤが再臨する」と信じるようになりました。, イエスをメシアとみなす民衆のなかには、だから、イエスをエリヤの再来だとみなす人もいたんです。, イエスもまたエリヤとおなじく、当時のユダヤ教を批判し、そして数々の奇跡をおこなったからです。, しかし、ときの支配者たちは違う意味で「イエスはメシアなのかどうか」を確認しようとしました。, 2回目の記事でふれたように、1世紀のユダヤ民衆のあいだではさまざまな不満がうずまいていました。, こうした現実をぶち壊し、ユダヤ人のユダヤ人によるユダヤ人のための国を創ってくれる誰かを、人々は待ち望んでいたのです。, ガリラヤのユダの反乱がパレスチナ全土に広がったのも、またイエス死後の紀元66年にユダヤ人による大反乱が起きるのも、こうした不満と期待のせいでした。, しかしときの為政者にとって、大衆の不満と期待をあおる独立運動家は、自分たちの地位をおびやかす社会不安でしかありません。, 実際、ガリラヤのユダの反乱も、66年からの大反乱も、ユダヤ人為政者とその後ろ盾であるローマ軍によってつぶされました。, 構図としては、イスラム過激派などの反体制派と、それを抹殺しようとする政府軍および多国籍軍に似ています。, 「嘆きの壁」66年からの大反乱と鎮圧によりエルサレム神殿は炎上。唯一残った西壁がこれ。, この反体制派と体制派のどちらもが、ユダヤ解放・独立をめざすカリスマを「メシア」と呼んだのです。, モーセはエジプトで隷属身分だった同胞を解放し、カナンの地に導き、やがてユダヤ人の国をつくる先鞭をつけました。, つまり「あなたはメシアです」と言ったペテロをはじめとするイエスの弟子たちや、イエスをとりかこんだ民衆たち。, 次の記事でイエスはエルサレムへと上りますが、そこでイエスは多くの民衆に熱狂的に迎えられます。, そしてご存知のように、支配者たちによって捕えられ、十字架刑に処されます。罪状は「イエスがメシアであること」でした。, このように、イエスは民衆からも弟子からもそして支配者たちからも、「ユダヤ人の解放と独立を求める運動家」として「メシア」と呼ばれたのです。, この意味での「メシア」はキリスト教にも引き継がれているので、わかりやすいと思います。, ただ当時のユダヤ教における終末思想とは、キリスト教よりももっと現世的で、いつかこの世界にカタストロフィが訪れるというものでした。, 日本では「メシア」を「救世主」と訳すことが多いため、わたしたちの多くはこの4番目の意味のみで「メシア」を理解しています。, だからこそ、民衆や弟子たちはイエスに期待し、そして為政者はイエスを恐れ処刑しようとしたのです。, だからイエスは、民衆や弟子たちの期待の内容も、そして為政者たちが自分を恐れる理由にも、気づいていました。, そのうえで、彼は自分自身を「メシア」とは呼ばず、代わりに「人の子」と呼んだのです。, いったい、「人の子」というイエスの自称にはどんな意味が込められていたのでしょうか。, イエスは自分を「メシア」と呼ばず、また人から「メシア」と呼ばれることも避けました。, それは彼が自分の使命を、まったく新しい概念の王、神の国における王だと信じていたからです。, 「洗礼者ヨハネだと言っています。また、エリヤの生まれ変わりと言う者もあり、預言者のひとりだと言う者もあります」。, そしてもう1つは、みなの思い描く「メシア像」と、イエス自身の考えるみずからの使命には、違いがあったからです。, 「メシア」と呼ばれた人物が支配者によってことごとく逮捕・処刑されてきたのを、イエスはよく知っていました。, そして、イエスにとって身近な存在だったこの2人はともに、ローマやユダヤ支配者層によって逮捕・処刑されたのです。, そうすることで、「あいつはメシアと自称している」というウワサが支配者の耳に入ることを防ごうとしたのです。, 「ダニエル書」とは、ダニエルの夢や幻視が書かれている、ヘブライ語聖書のなかではちょっと異色の書です。, つまり人の子とは、神から主権と栄光と国を授けられ、万民を永遠に支配する王を意味するのです。, そこで彼は、みずからの使命に合致するこの「人の子」という自称を使うようになったのです。, イエスが「人の子」という自称を、権威と栄光ある王という意味で使っている場面は多々あります。, その理由は、さっきもすこし触れましたが、イエスの思い描く王のイメージが通常の「支配者の頂点」というものではなかったからです。, こうしてみてくると、一般的な「メシア像」とイエスの思い描く使命・目的とは、かなり異なっているのがわかります。, 「メシア」の4つの意味のうち、イエスの使命と合致するのは「王」「終末時の救世主」という2つのみ。, しかもイエスの思い描く王は、ダヴィデのように仕えられる王ではなく、むしろ仕える王でした。, そして残り2つの意味、「預言者」「解放運動家」については、自分がそれだとはイエスは一言も述べていないのです。, イエスの思い描いていたみずからの使命が上記のようなものだとすると、新約聖書中のいわゆる「山上の変容」と呼ばれる箇所のほんとうの意味もわかってきます。, ある日、イエスは弟子のペテロ・ヤコブ・ヨハネの3人だけをつれて、高い山にのぼりました。, すると突然、イエスの姿が変わり、みすぼらしかったイエスの衣服も白く輝き出しました。, この「山上の変容」という奇跡が、イエス自身の自己認識となんらかの関係があるとすれば、以下のように読み取れます。, イエスはエリヤ(=預言者)でもなく、モーセ(=解放運動家)でもなく、かれらの上に立つ者だと。, イエスは以上のような自己認識・使命・目的をもって、メシア隠しをおこない、「人の子」と自称したのです。, イエスの弟子も、民衆も、そしてときの支配者たちも、これらのどれかの意味でイエスを「メシア」とみなし、期待したり、危険視したりしました。, イエス自身、こうしたメシアの多義性と、イエスをとりまく各人の思惑に気づいていました。, そしてイエスはイエスで、こうした「メシア像」とはちょっとちがった、新しいビジョンを持っていました。, NI44 聖書 新共同訳 小型(A6判) ビニールクロス装 新共同訳 [ 日本聖書協会 ], なぜなら「革命家」という近現代の概念に、イエスをむりやり収めようとすると、どうしてもムリが生じるからです。, たしかにイエスは、この社会秩序をひっくりかえしたいという意志を明確にしていました。, しかしイエスは、武器も持たず軍隊も従えず、転覆工作のようなものさえひとつもしませんでした。, イエスはただただ情熱で、そして神の力によって、この世がひっくりかえるのだと信じていたのです。, また同時にイエスは、宗教家としての熱狂的な自分を、どこか冷静に達観してながめていた部分もありました。, 宗教的熱狂がいきつくところまでいけば、待つのは死のみだと、イエスはまた痛いほどに知っていたのでしょう。, 新品北米版Blu-ray!【パッション】 Passion of the Christ [Blu-ray]!<メル・ギブソン監督作品>, ガリラヤ地方で約2年間、宣教活動をおこなった後、イエスは弟子たちを連れてエルサレムへと向かいます。, エルサレムはユダヤ世界の中心であり、ローマ総督や神殿祭司階級といった既存の支配階級のいる場所でした。, 物語 エルサレムの歴史 旧約聖書以前からパレスチナ和平まで【電子書籍】[ 笈川博一 ], 一方、エルサレムに住まう支配者たちは、イエス集団がエルサレムに近づいているという情報をつかんでいました。, そして、イエスの「メシア隠し」にもかかわらず、イエスがメシアと呼ばれていることも知っていました。, 捕まえ、尋問し、集団の指導者であるナザレのイエスとやらに真意を聞かねばならない…。, 科学と数学についてはヘタの横好き。 2017.12.02

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